下久堅の紹介

文永寺(南原区)

 文永寺は、鎌倉時代の文永年間に知久氏が創立したもので、たくさんの遺物を残しながら江戸期になっても伊那郡の最高の朱印地を持っていたところに特徴があります。天文23年武田信玄によって文永寺は焼き払われ神之峰が落城しましたが、醍醐寺理性院との関係を深めるなどして、天正11年文永寺再興普請が始まったと言われています。


 創立者は知久平に移り住んだ知久第1代の信貞とも2代の敦幸とも言われています。特に敦幸は、諏訪上社に普賢堂・五重塔・梵鐘等を寄進し、また文永寺の重要文化財の五輪塔を造立するなど諏訪大明神を崇拝し知久氏の威勢を偲ばせるものがあります。
 主な遺物としては、石造五輪塔及び石室、梵鐘、聖観音坐像・阿弥陀如来坐像等が管理保存されています。

文永寺五輪の塔


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